なぜ殺人事件は奈良で起きないのか |
わが友人であるその男は云った。
「なぜ殺人事件は奈良で起きないのか」
と。それも、何だかひどく憤った顔つきで。
私はうまく返答するどころか、対応しようという気すらなかったので、首をかしげてばかりいた。それでやり過ごせないかと思っていたからだ。しかし奴の喰らいつきはスッポン並みに強く、話題を変えさせてくれるような隙も気配もなければ妥協もしないという、ある意味で禍々しいオーラを全身から放出し、しかも攻めてきていた。そうなると、もはや面倒くさがることに面倒くさくなってくるので、結局この話を続けざるを得ない状況となり、今に至る。ところで、この話の論点は虚構(ドラマ)によるものなので、現実の事件とは一切関係ない。更にもう一点申し述べておきたいのは、我々がれっきとした奈良県民だという事実である。というのも、このあと、わが友は執拗に奈良をごり押しするという実に鬱陶しい展開になるのだが、それはゆえあってのことであることを予め了承しておいていただきたい。
では、話を戻そう。
「京都など、云わずと知れた殺人事件の名所!」
「いや、その言い方はいかがなものかと」
「京都ばかりではない。和歌山といえば南紀白浜、龍神温泉。兵庫といえば城崎、姫路、淡路島。滋賀の琵琶湖はロケ地としても多く起用され、大阪なんてサスペンスにするまでもない。あぁ! なんともロマン溢れる魅惑の殺人名所たちよ!」
「だから、もっと言葉を選びなさいよ」
「だが考えてもみてもらいたい。何も奈良には殺人事件にうってつけの場所がないというわけではないのだ。サスペンス界ではおなじみの警視庁の某警部とほぼ同名の十津川(とつかわ)村など最適じゃあないだろうか。否! これ以上の場所などない!」
そんなことはないと思うが、殺人事件に適した場所を提唱するというのも妙なので今しばらく黙っていることにした。第一、ヒートアップしているこの男には、よもや私の声など届かない。
「大体、何だってわざわざあんな華美な都会や観光名所を選んで事件なんて起こすんだ、おかしいだろう? 良いことをするわけではないのだから、もっと人目をしのんだ場所で行って然りだろうが」
「そこを指摘すると身も蓋もない話で……!」
しかし、もっともな意見であることは事実。
「それに、関西で起こる事件のくせに関西弁をあやつる人間の少ないこと少ないこと。京都弁を話さない京都府警の何が嵐山殺人事件か! まじめに京都人をやっているのなんて音川警部補か山村紅葉くらいなものだ」
確かに山村紅葉は、模範的なまでの京都府民でもって京都のスナックのママ役をやるかたわら、警視庁で標準語を話す刑事役もこなす、いわばバイリンガルだ。しかし、今はそんなことなど関係がない。なぜなら、当初の論点からずれているからだ。
「奈良は良いぞぉ。発展途上の町村が多いからな。南に行けば行くほど殺人事件の舞台に適していく。何なら奈良市ですら発展途上と云っても良い。他の都道府県民から『シカ公園』などと呼ばれるくらいなのだから」
無論、そんな理由で奈良公園の名が浸透していないわけではない。明らかにシカが目立ちすぎているからだ。
「だがな、奈良がサスペンスの舞台としてとり上げられない、最も致命的な理由がある」
ここにきて、男は急に物憂げな顔をし、静かに云った。
「へー、そうなの?」
面倒くさいを全開にした私の適当な相槌に、彼は神妙に頷いて見せた。そしてゆっくりと、その理由を告げたのだった。
「海だ。海がないことが大きい」
「……ん?」
私にはすっと飲み込めなかった。頭上にいくつもの疑問符が浮かぶ。
「ばか、わからないのか! サスペンスの話をしているんだぞ? だったら必要だろうが。犯人が真相を告白する場所が! まったく、そんなこともわからないとは情けない」
そこまでのことなのかというくらいに落胆する男。だが私は思う。滋賀にも海はないと。きっと海に代わるものとして琵琶湖といいたいのだろうが、あれはあくまで湖だ。しかし云えば面倒なことになること間違いないので口にはしない。ページもないし。
「吉野川や大和川で恨み辛みを吐けというのか? それとも津風呂(つぶろ)湖か! お前、津風呂湖ってどこにあるか知ってるのか! あんな場所ではアバンチュールもできやしない!」
「おい、サスペンスはどうした! というかもう、わけがわからんわ!」
ちなみに我々は、近畿地方は二府四県と教わったので三重県は含まれない。あしからず。
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某所で行われた品評会に提出した作品。
テーマは「海」、文字制限2000字。
【参考】
●十津川
トラベルミステリーの第一人者で知られる作家、西村京太郎のサスペンスシリーズを参考にしているふしが多々ある。
本作中に出てきた地名「十津川村」は実際に奈良県に存在する、県内最南端の村であるが、こちらの読みは「とつかわ」であるのに対し、御大のシリーズキャラクターにおける「十津川」はその読みを「とつがわ」としている。ゆえに本作中では「ほぼ同名」と表した。
●音川警部補
和久峻三著作の推理小説『京都殺人案内』におけるキャラクターである。
同書を原作としたテレビシリーズでは、音川警部補役を京都府育ちの藤田まことが見事な京都弁でもって演じた。
●山村紅葉
推理小説作家、山村美紗の長女で女優。特に母親の著作を原作としたテレビシリーズには、レギュラー、準レギュラー、脇役問わず数多く出演している。山村美紗サスペンスは、京都を舞台とした作品が多く、ゆえに京都弁を披露するシリーズが多岐にわたる。
生まれも育ちも京都である根っからの京都府民。自身でも、得意な言語は京都弁としている。
●最後に
奈良を舞台にしたサスペンスドラマがあることを作者は知っており、舞台になりにくいことは確かでありながらもその理由が海のあるなしでないことも理解しているうえで本作品を手がけたことを、ここで表明しておきます。